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海月の部屋

海月の部屋

大学時代

☆大学時代


●不安だらけの一人暮らし

大学は家から日帰りで行くことはなんとか可能だけど、毎日通うのは絶対無理な距離だったので、一人暮らしをすることになった。学校に知り合いがいないというのは高校入学の時と一緒だけど、何と言っても親がいない(当たり前だが)。それまで家事全般を母に頼っていたが、それだけでなく細々としたことも任せていた。全て自分で決めて行動しなくてはいけない生活になり、自由ではあるけど何もわからず不安でいっぱいだった。「これでいいの?」「どうしたらいいの?」「誰か助けて」・・・もちろんだんだん慣れてはいったけど、ちょっとしたことで不安になることも多かったなぁ。

●片付けられないのは自分のせい

家にいる頃は母が「勉強をしろ」「片付けをしろ」とうるさかった。それで、うるさく言われると余計やる気がなくなると思っていた。一人暮らしを始めたら、マイペースで徹底的に片付けるか、やっぱり片付けられず汚い部屋なのか、自分でもどっちになるかわからなかった。そして、結果は後者。親がうるさいからやる気がなくなるという問題じゃなかった。汚いことで友達を気軽に部屋に呼べなかったりすると「今度こそ片付けよう」と思うのに、やっぱり同じことの繰り返しで落ち込んでいた。

●誰にも言えないくずれた生活

片付けができないだけでなく、一人暮らしでの生活はADDの影響大だった(当時ADDなんて知らなかったけど)。とても人には言えないような暮らしぶり。これについては長くなるので別ページに書くことにする。

●強迫的なタイマー確認

これは高校生の頃に始まって現在も多少は残っている行為だから、学生時代に書くのもおかしいのかもしれないけど・・・。
朝起きる時にはCDラジカセのタイマーを目覚まし代わりにしていた。そのタイマーがセットされているか、寝る前に何度も繰り返し確認してしまうのだ。学生の頃はベッド下が収納スペースだったため寝るところが高い位置にあったが、わざわざはしごを下りてラジカセのところまで行って確認することもあった。もちろんその前にも確認をすませてからベッドに上がったのに。本当にタイマーがセットされているか、そして時間があっているのかが心配になってしまうのである。なぜ心配になってしまうかというと、セットされていなかったことが何度かあったから。ありもしないことを強迫的に確認するわけではないので、強迫性障害とはちょっと違うんだと思う。ちなみに今は1~2度確認する程度。でも1回も確認しないと落ち着かない。仕事に遅刻するわけにもいかないしね。

●つれづれノート

1年の秋、好きなときに好きなだけ好きなことを書くノートを作った。「つれづれノート」というのは、当時好きだった銀色夏生さんの本からとった名前。子供の頃から日記を書こうと思っては3日坊主だったが、これは就職して忙しくなって書かなくなるまで続いた。毎日何ページも書くこともあれば、1ヶ月くらい何も書かないときもあったけど。内容は出来事だけでなく、考えていること、悩み、精神状態を書き連ねることが多かった。ノートを書き始めた理由は、自分の記憶を残したかったから。自分が昔のことを忘れやすいことには気付いていたので、何か自分の存在、記憶を形にしておきたかったんだよね。書き始めてから気付いたのは、ノートに不安や怒りをぶつけているとだんだん落ち着いてくること。頭が整理されてくるっていうか・・・。ちなみに今この日記を読み返すと「私も成長してるんだ」と実感できる(笑)

●無理なくマイペースで

20年近く生きていれば、ADDは知らなくても自分がいろいろなことがこなせないタイプなことくらいわかってくる。学生時代はとにかく無理はしないようにしていた。まず必要のない資格は取らない。先生になるつもりがないのに教職を取る人もいたが、毎日講義が詰まって大変そうだった。私はそんな大変なことはせず、ゆとりを持って科目を選んだ。もちろん卒業時にあわてることのないよう、ぎりぎりすぎるほど科目を少なくはしない。また、自分のことをだらだらして何もできないダメな奴だと思っていたが、とりあえず1日何か1つできればOKということにしていた。大学は行くのが当然だったので数には入れないが、「洗濯をした」「掃除機をかけた」「スーパーに買い物に行った」「郵便局に行った」というなんでもないことでも、「今日はこれができたぞ」という1つにしていた。だから、何にもできなかった日というのは滅多にない。それでもたま~にはあったけど(^^;

●車の免許

2年の時教習所に通った。本当は車の運転をしたいなんて思ってなかったけど、将来地元に戻るのなら、車がないと生活できないような所だから。さて、初めにやった適性検査の結果だが「状況判断力にやや劣る。神経質傾向がある。気分が変わりやすい。協調性がない。自己主張が強い。情緒不安定である。」・・・あたりすぎて恐い(笑)なんであんな簡単なテスト(当てはまる項目にチェック)だけで、こんなに私がわかってしまうんだ。運転する上で気をつけるポイントとして「考え事は車から降りてからにしましょう」とかあったなぁ。守ってないけどね(^^;こんな私でも検査の総合結果は5段階で3(ほとんどの人が4か5だったらしいけど)。運動神経がなく頭の回路もつながりにくい私は、初めはハンドルを切る時に手の持ち替えも混乱する程だったけど、最終的にはなんとか免許が取れた。教習時間はオーバーしたけど試験には落ちることもなく。でも、車が好きになるわけもなく学生時代はペーパードライバーだった。

●私はおもしろい・・・!?

自分が変わっているという自覚はあった。でも、それは人と違って変という悪い意味。しかし、天然でおもしろいというふうに受け取っている人がいて驚いた。変わっている自分にコンプレックスがあったのに、良く受けとめられているのが意外で、はっきり口にされると自分じゃないようで落ち着かなかった。学生時代は自分のきつい一面が隠れていたこともあり(故意にではなく、なんとなくそうなってしまった)、良く誤解されてもあとで失望されて皆離れていってしまうんじゃないか?という不安も少しあった。

●自分は頭が悪い

大学に入りゼミやサークル等で少しは友達ができた。本音が出せる子もいれば、表面上になってしまう子もいた(当たり前のことだろうが)。同じアパートの子とその仲間の子たちとも一緒に行動することがあったが、楽しいんだけどつまらないという状態をいつも味わっていた。なぜかというと会話のテンポについていけないのだ。それまでボケツッコミのある会話をするような友達が周りにいなかったため、面食らってしまった。聞いていてとても楽しいのだが、自分は会話に入り込めない。頭の回転の悪さを自覚した。「頭がいい=勉強ができる」ではなく「頭がいい=頭の回転が速い」だと感じ、自分は頭が悪いんだと思うようになった。その子達と一緒にいる時はいつも萎縮してしまい、テンポについていけないだけでなく自己主張もできなかった。

●小さな経験の積み重ねが未来につながる

学生時代にのんびりペースで少しずついろんな経験を積みたいと思っていた。自分1人の時間は大切だったし、自分についていけないペースだと不安になってしまうけど、ちょっとした新しい経験はワクワクして、自分が前に進んでいる感じが好きだった。友達と初めての場所に遊びに行くといった程度のものでも経験の1つ。アルバイトも私にとっては社会経験という位置付けだった。親からの仕送りだけでも生活はできたので、大学や新しい生活になれるまではバイトはせず、1年の秋くらいに短期バイトをしたのが最初。継続したバイトを始めてからも、自分に無理のないよう週1~2日にしていた。それでも、例えば「お先に失礼します」といった挨拶等当たり前のことも知らないような状態だったので、いい勉強、経験になった。

●福祉は自分のためになる

高校の頃「自分の他にも変わっている人がいる」と感じたことから、変わっている自分を少しずつ受け入れてきた。それが大学で福祉を勉強するにつれ「いろいろな人がいるのが当たり前なんだ」と思うようになってきた。障害者福祉で「ノーマライゼーション」の概念を学んだことからかな。障害者も高齢者も誰もが普通の当たり前の生活が保障されなくてはならない。でも、現実はいろんな人がいろんな生活を送っている。「社会で上手くやっている人たち」と「上手く適合できない変わり者(自分含む)」という塊ではなく、いろいろな人がいるのがわかった。そして私もその1人と捉えられるようになってきた。他にも、児童福祉の課題で不登校の子の本を読んで「居場所」の大切さがわかったし、人格心理学をはじめとした心理系の科目もおもしろかったな。「自分はこれに当てはまるな~」なんて遊び感覚だったけど、自己覚知には役立っていたように思う。他の講義もそうだ。人のための福祉を学んだのではなく、自分に役立つものだった。
施設実習には障害者施設と福祉事務所(市の福祉部)に行ったのだが、福祉事務所実習では市内のいろんな施設を見学する日があった。精神保健センターにも行き、併設されている精神障害者の作業所(時間が合わず利用者はいなかった)の見学をして思ったことは「将来気が狂ったとしても行き場があるんだ」・・・心からホッとした。マイペースではすまされないだろう社会に出たら、自分がどうなるのかわからなかったから。しかし、実習の趣旨からはずれた感想であることは間違いない(^^;

●将来への不安

マイペースな生活を送っていたからこそ、それが壊れるのが恐かった。3年の頃には嫌でも就職について考えなくてはならなくなる。何でもない時に突発的に不安感に襲われるようになった。就職自体ではなく、就職活動にも不安が強かった。なにしろ人と比較され勝ち残らなければならない。面接も小論文もすごく苦手なため、高校や大学の受験のようにはいかない。就職希望先とのやりとりも全て自分がしなくてはいけないが、これも苦手なことの1つ。どうしたらいいのか1から教えてくれる人がいるわけもなく、ますます不安になるばかり。就職後やっていけるのかという不安ももちろんあった。学生時代は嫌なことはやらないという選択肢もあるが、働いたらそうはいかない。対人関係や仕事についていけるのか等何もかもが不安。車の運転をしなくてはならないのも恐かった。もし事故を起こしたら・・・?こんな感じで就職についてはポジティブな発想は全くなく、卒業して社会人になるのが信じられなかった。

●日々の何気ない幸せ

ちょっとしたことでイライラしたり不安になったりもするけど、幸せにもなれる。自分はダメな奴だという思いもあったけど、些細な幸せを感じられる自分は好きだった。例えば、暖かい日差しを浴びてのんびり歩くといったこと。冬に暖かい部屋でちょっと高めのアイスクリーム(ハー○ンダッツとか)を食べるということ。こんなことで心から幸せだなぁと思えた。

●Uターン就職を決めたわけ

学生時代バイトや講義を詰め込まず、無理のない生活を心がけていた。それでも家事全般ろくにできなかった。働き始めたら忙しくなる。ゆったりした学生時代にできなかった家事がますますできなくなるのは間違いない。私に仕事と家事の両立は絶対無理だ。そんな理由で地元での就職を決めた。本当は大学のあった土地に残れば、交通網も発達しているし運転せずにすむかもしれない。でも、私は不安いっぱいの車通勤の方を選んだ。卒業と同時に家に戻り、4年間の一人暮らし生活を終える。


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